紀元前1600年、中国古代王朝・殷の時代の遺跡から
陶板に甲骨文字で書かれた六十花甲子表が出土
六十花甲子が存在するには
それより以前に五行説と陰陽論が存在していたことになり
算命学の基本理論であるために
算命学の発祥も、約4000年前であると伝えられています
……
中学受験のとき、中国歴史年表は必須だからと
殷周春秋戦国秦漢……と呪文のように唱えて覚えた
殷の時代に、暦の土台となった
六十花甲子が確立していたということですね
六十花甲子とは
十干と十二支を組み合わせたもの
六十花甲子を用いた暦を干支暦と言います
日本には、干支暦が入ってきたのは
欽明天皇時代・554年と言われています
(諸説あり)
脱線しますが
欽明天皇といえば蘇我稲目
蘇我氏といえば仏教
仏教受容問題…
物部氏(神教) VS 蘇我氏(仏教)
と、なっていき
今の寺社仏閣が立ち並ぶ日本になっていくワケです
話を戻しまして
紀元前1600年・殷の時代より時間が経過して
紀元前403年~中国の戦国時代に鬼谷子(きこくし)という縦横家が出現しました
この鬼谷子が算命学の開祖であると伝えられています
鬼谷という土地に居を構えていたから
土地の名をとって鬼谷子と呼ばれていたそうです
(子とは、先生という意味)